日本とヨガの歴史

日本とヨガの歴史

瑜伽(ゆが)としてのヨーガ伝来

806年、唐より帰国した空海の時代、日本に最初に瑜伽(ゆが)としてヨーガが伝わりました。
瑜伽(ゆが)とは、仏教におけるサンスクリット語「yoga」の音写語で、
感覚器官が自らに結びつくことによって心を制御する精神集中法や、
自己を絶対者に結びつけることによって瞑想的合一をはかる修行法を言います。
最近の心身の健康法としてのヨーガもこれに由来しています。

瑜伽(ゆが)の原義は「結びつくこと」「結びつけること」の意で、「相応」と訳されます。
相応には5義あります。

境…一切法の自性
行…定慧などの行
理…安立・非安立の二諦
果…無上菩提の果を得る
機…薬病が相応するようなもの

その後、真言宗や天台宗の「護摩」、「阿字観」等の密教行法として、現在に伝わっています。
禅宗の座禅も、ヨーガ・スートラ第2章に記述されるディヤーナの音写です。

「ヨガ」を初めて行なった人物の登場

日本で初めてヨガを行ない、教えを説き始めたのは、1919年に天風会を創設し、
心身統一法を広めた『中村天風』という人物です。
中村天風氏は「yoga」を「ヨガ」と表現しています。

結核を患った天風氏は病を治すために世界を旅している中、
インドの山中でヨガの聖者カリアッパ師に出会い修行を積み、
病を克服し悟りを開きました。

心身統一法は、人間の思考を自然と調和させることで、人間本来の命の力、エネルギー、
潜在能力を引き出し心身ともに幸福で健康になることのできる実践的方法、とされています。

「ヨガブーム」の発起人

その後、1950年代以降、日本にヨガブームを起こしたのが『沖正弘』という人物です。
沖正弘氏も「yoga」を「ヨガ」と表現しています。

沖氏は、第二次世界大戦中、参謀本部の特別諜報員として
東西医療法と各種教宗派の修行法の特別訓練を受けます。
戦後も医学と宗教を学び、1951年、ユネスコ平和建設国際奉仕団日本代表として
医療・福祉事業面においてインド、パキスタンで活動します。
この時、釈迦、ガンディーを悟りに導いた教えがヨガであることを知り、
ヨガ哲学へ熱烈な探究心を向けます。

1958年に、日本ヨガ協会とヨガ行法哲学研修会を設立します。
多数の著作の刊行や全国各地で講演しヨガの普及に努めるとともに、
自分の研修したヨガを求道ヨガ(別名:沖ヨガ)と命名し、
その修道場・連絡所を各地に設けヨガの普及にあたりました。

沖ヨガの特質は、ヨガを現代的かつ総合的に解釈し、
ヨガ・禅・陰陽哲学・東西医療法と修行法を総合した立場から、
生活のすべてを修養法・修行法・治病法とするユニークなシステムであることです。

その中心となっているものが修正行法と瞑想行法で、
その理論と実証によって、インドとスイスにより医学と哲学の学位をうけています。
修道場には、常時、世界各国からの人々が入門、研修し多くの弟子を持ちました。

近年のヨーガブームで名著とされる沖の多くの著作が復刻されています。

「ヨーガ」という言葉が広まる

1970年代以降、「ヨーガ」という言葉を広めたのが『佐保田鶴治』という人物です。
インド哲学・宗教学専攻の学者の佐保田鶴治氏は、
インド哲学の学識理論面と実践面双方に通じたヨーガの指導者です。
体と心は元来一つであるべきものであり、
体と心の双方でコントロールしあうのがヨーガである、
という心身一如の原理に立っていると説いています。

佐保田氏は、サンスクリット語で書かれているヨガの原典を日本語訳しており、
「yoga」は「ヨーガ」と発音するのが正しいと語っており、
彼の文献では「ヨーガ」と記しています。

日本での「yoga」の呼び方は、学んだ流派や指導者によって、「ヨガ」「ヨーガ」と
分かれている、ということも言えます。